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革命日記



<チェ=ゲバラ>

~台風7号来襲~

 本日、7月26日、首都圏に台風が来襲した。西日本出身の私にとっては、今回の台風は全然大したことがないのだが、首都圏はたちまち大混乱である。徹夜していた時から確かに雨は凄かったのだが、風は至って普通である。そんな中、正午前後だろうか、東京23区に大雨洪水警報が発令された。私はそのニュースをすぐ伝えられたのだが、西日本に住んでた時にはそんな警報は日常茶飯事なので、大して気に留めなかった。しかし、東京ではそれに慣れていないのだろうか。会社・学校は直ちに閉め始めてしまった。
私が家で夜の徹夜作業のため、家で寝だめし、夜11時、大雨と熱帯夜の中、一時間かけて西早稲田22号館に行くと、年間24時間無休のはずのコンピュータールームの電気が消えていた。こんなのは初めてである。入口の張り紙に近づいてみると・・・

『22号館MNC自習室は、東京23区に大雨洪水警報発令されたため、13:30に閉室致しました。』

はぁ~、こんなに苦労して来たのに、こりゃないだろ。西じゃぁ、大雨洪水どころで学校は閉まんねぇよ~。
 今回の台風は、話題の大きさに比して大したことがなかったのだけれど、風が強そうな、いかにもそうだという台風が接近する時には、なんかワクワクしてしまう気持ちにならないだろうか。去年の例を見ても分かるように、台風は多大なる被害をもたらす危険な存在であるが、私はワクワクせざるにはいられない。私のような感情を覚えてしまう人は、少ないのだけれど、ごく一定の割合で存在するようで、そのような人たちには革命家になりたがる傾向があるそうだ。
 冒頭の写真は、世界的革命家であるチェ=ゲバラ(本名、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)である。彼は、1950年代のキューバに於いて、未だ健在のカストロ議長とともに、親米のバティスタ政権を倒し、キューバ革命を成功させた人物として有名だが、元々はアルゼンチンの人である。彼は、キューバだけではなく、コンゴやボリビアでも革命を指導した。
 彼はもともと、ブレノスアイレスに住む放浪好きの医学生だった。そんな彼を、友人との南米旅行が変えることとなる。アメリカの帝国主義的な政策の影響を受け、ペルーのインディオたちがひどい生活に追い込まれている惨状を目の当たりにした彼は使命感を覚え、革命家の道を突き進むことになったのである。
 これは有名な話だが、カストロらとともに行っていた初期のゲリラ活動において、バティスタ政権軍の攻撃を受け、最初の80名のメンバーがたったの12名になってしまった。この状況を見て、誰が彼らが政権を転覆できると思うだろうか。壊滅寸前である。しかし、彼らは諦めなかった。特にゲバラは、バティスタの後ろで覇権を振りかざすアメリカ帝国主義が許せなかったのだ。残った人員で再起し、闘争を継続し、3年後、革命は成就する。彼が、活動していたのは主に社会主義勢力の中であったのだけれど、イデオロギーに浸っていたというよりも、単に、悲惨な生活を続ける人々を解放したいという使命感で革命家を続けたのである。その信念の強さは、思想の違いを超えて現在に至るまで賞賛されている。私もマルクス主義者ではないが、諦めることなく芯を通し、安定した地位に固執することなく、理想の社会の実現に向けて生涯を捧げたという彼の生き方には、とても魅力を感じる。
 こんなチェ=ゲバラは、わずか40歳でこの世を去ることとなった。ボリビアでのゲリラ指揮の作戦中に政府軍に捕まってしまい、暗殺される。

 最期の言葉は射殺を躊躇する兵士に対し、

「ここにいるのは英雄ではない。ただの一人の男だ。撃て!臆病者め!!」


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『悪魔の詩』

1991年7月12日
小説「悪魔の詩」を日本語に翻訳した筑波大学の五十嵐一(いがらし ひとし)助教授の他殺遺体が大学構内で発見される。


 今日は、私が授業で取り上げた話を紹介しましょう。


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悪魔の詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『悪魔の詩』(あくまのうた、原題:The Satanic Verses)は、1989年にイギリスの作家サルマン・ラシュディがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。

<イスラム教に対する冒涜>
イスラム法学者のタバリーによると、預言者ムハンマドはかつてメッカの多神教の神を認める章句を読み上げたという内容の事が記されている。後にムハンマドは、その章句を神の預言によるものではなく悪魔によるものだとした。これが、この本の原題の意味である。この他にもイスラム教に対する揶揄が多くちりばめられており、イスラム教に対する挑発でもあった。

<死刑宣告とその影響>
1989年2月14日、イランの最高指導者アヤトラ・ホメイニによって著者のラシュディ、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ラシュディはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。
1989年2月15日、イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示される。
1989年6月3日、心臓発作のためホメイニが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。
1991年7月12日、日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が研究室にて何者かに襲われ、喉を繰り返し切られて惨殺される。 他の外国語翻訳者も狙われる。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
1993年、トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡する。
1998年、イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も指示しないとの立場を表明する。



最終更新時刻:2005年07月12日 16:35 by.Aiichiro Kohno
上記の内容はWikimedia Foundationによる フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』記事の引用です。
Content is available under GNU Free Documentation

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 1979年、パフラヴィー朝を打倒しイラン=イスラム革命によってイスラム原理主義共和政を打ち立てたホメイニ師。世界史の資料集とかで彼が『悪魔の詩』の作者に死刑宣告をしたという箇所に目がとまった方もいらっしゃることでしょう。表現の自由と宗教―大変難しい問題ですが、この『悪魔の詩』の思わぬところに火花が飛びました。14年前の筑波大学助教授の殺害事件です。犯人の足取りは全くつかめず、あとちょうど一年で時効を迎えようとしています。彼の奥さんは事件当時、専業主婦でしたが、残された二人の子供を養うため、彼の友人のつてを使い大学の講師を始めました。そして、14年たった現在では、帝京平成大学の助教授をされております。まるで亡き夫の分も頑張るかのように。
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