FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人物分類入門




 今日、高校時代やっていた生徒会のとある後輩に会って、思い出話が盛り上がっていたときに、当時の幹部の思想や価値観における分類をしてみました。
 横軸に左よりか右よりか、縦軸に保守派か改革派かを考慮することになります。ちなみに、ここで言う、“右”とか“左”とかの分類ですが、前者が全体主義、後者が個人主義であると仮定します。その上でそれぞれのキャラクターを、話し合いの中で、この座標平面に分類していきました。
 すると、ひとつ、興味深いことが分かりました。真反対の人物同士は意外なことに対立が起きていないということです。例えば、右派保守派と左派改革派は真反対ですが、現実の現場では互いが互いの良いところを認め合い共存しています。しかし、左派保守派と左派改革派同士では、憎しみをも含んだ熾烈な権力闘争が生じています。おそらく、その同じ思想にもかかわらず、その理想の実現の方法に大きな格差があり、ここにおける相違が互いの互いに対する不可解を呼び、大きな対立に発展するのでしょう。
 冷戦時に頂点を極めた資本主義勢力と社会主義勢力との対立は有名です。しかし実のところ、その対立における犠牲者の数よりも多いのが、社会主義勢力(厳密に言うと共産主義勢力)内における同士討ちによる犠牲者の数です。ソ連のスターリンによる大粛清、中国の大躍進政策・文化大革命、カンボジアのポル・ポト派による虐殺などがその例としてあげることができます。日本国内でも、連合赤軍内での“総括”を通したリンチ殺人などがありました。一定の思想を極端に重視し、多様性を許さないということは、大変危険なことなのです。

スポンサーサイト

Up to you

~互いの思想を追求することは人間を幸せにさせるのか?~

 あれは、高校1年生の秋の頃だろうか。私は、人と自分の価値観や思想を語り合うことに、面白さを感じてきました。大学に入って、しばらくの間、そのようなことができる新たな相手に恵まれてきませんでしたが、最近、ある女の子と久々にそんな話をするようになりました。高校の時にいた部類の人間ではなく、それはそれで魅力があるのですが、彼女には彼女なりの考えているところがあって、また、それが意外と自分の考えていることとの共通点を多く含んでいたのです。私は、自分と似たような考えを持っている人間はそうはいないと思ってますから、そのような共通点をひとつひとつ見つける度に喜びを感じるようになり、次第に、その子と話すこと自体が楽しくなってきました。
 しかし、全て同じ考えを共有している人間などいるわけがありません。こんな語り合いを続けていくうちに、ある一点を超えると、今度は、互いの相違点が目立ってくるようになります。そして、気付けば、他の人間よりは似通っているはずなのに、互いの考えを知り過ぎたがために、全然違うキャラクターだなぁ、なんて思えるようになります・・・
 別に恋愛の対象として相手を見ていたわけではないのでしょうが、仮に、そういう対象として見ていたとすれば、このような互いの考えを追求し合うことは、人間を幸せから永遠と遠ざけるというかなり危ない行為なのかもしれません。というのは、先ほど述べましたが、究極のところ、全く同じ価値観や思想の持つ人間などいるわけがないからです。ただ、もしそういう相手または許容範囲内の相違で収まる相手と分かれば、幸せなことこの上ないでしょう。すなわち、恋愛関係に於いて男女が、互いの思想を追求することは一種の博打行為だと言えます。後は、どの点で妥協するのか、それともしないのか。自分次第です。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。