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華僑について


 中国の人口は現在、約13億人にも上るが、その増加の発端は意外と最近だ。時代は大航海時代、新大陸の銀が採掘されることによって、世界の銀の量が急増した。中国でも銀の流通量が増え、16世紀、明代において新たな税制である一条鞭法が施行された。その税制は清代において、地丁銀制へと改良され、この2つの税制によって、たかだか約3億人だった中国の人口は、増加の一途をたどることになる。しかし、イギリスの経済学者であるマルサスが『人口論』で語るように、人口の増加速度が加速的であるのに対し、生産される食糧の増加速度は一定なので、次第に農村が激増した人口を養いきれなくなっていった。

 そうした中、19世紀のアヘン戦争以降、中国は帝国主義時代を迎え、数々の欧米によって、侵略されることになる。その過程で生じる社会混乱や、戦争、講和条約による賠償金による重税などによって、農村はますます貧しくなっていった。そこで、中国、特に南部の農民は、太平天国の乱などの蜂起を行う者がいれば、北京条約によって解禁された中国人の海外渡航によって、貧しい中国を脱し、豊かな生活を求めて、華僑として移民する者もいた。開港された港である上海や広東の租界を経由し、彼らは主にアングロアメリカや東南アジア、日本などに旅立っていった。その中心を成したのが、福建省・広東省・江西省の山間部の貧しい農民である客家である。

 現在、アングロアメリカでは、活躍する中国系も多いが、白人が政治・経済を握っている状況は変わりない。アメリカ合衆国では、第1次世界大戦の後、増えすぎたアジア系移民を脅威に感じたヨーロッパ系の政治家によって、これらの移民を制限する法律として移民法が制定された。しかし、東南アジア、特に、シンガポール、マレーシアでは、中国系がいまだにかなりの割合を占め、その国の経済を中心に、政治を支配している場合もある。例えば、マレーシアでは住民の3割以上、シンガポールでは住民の7割以上が中国系である。シンガポールでは、建国以来、約30年にも渡って首相として国の実権を握ったリー・クアン・ユーが華僑の代表である。
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