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依存


 私の高校には小池という先生がいた。彼は英語を教え、個性的な教員が多い我が校の中でも際立ち、その口調とポーズ、主義主張が多くの生徒に揶揄されていた。特に私の親しい友人の一人には、生物の時間に内職して、『小池論』と名を得った漫画を書き続け、それが大変面白かったのを覚えている。

 そんな彼は、「ねらってくわい!」と言いつつ、毎回の定期試験で自由英作文を課し、入試の予想問題を出していた。確か、その中に、「少年・少女に携帯をもたせるべきか、否や」のようなテーマの問題があったような気がする。個人的には、一定の年以下の者、例えば小学生+αには、携帯電話、インターネットなどの通信機器は持たせるべきでないと考える。なぜならば、彼らが所持してもさほど社会的な利便性が向上するとは思えず、人間としても全然未熟であり、社会に氾濫している情報に対する判断ができない可能性がかなり高いからだ。では、だからと言って、例えば彼らに所持を禁止するようなことは、現実問題として可能であるか?

 今は知らんが、当時は我が校では携帯の所持は禁止されていた。また、全校生徒の半分以上を占める寮生では、寮において携帯のみならずパソコンの使用が禁止されていた。しかし、皆さん日々世話になってるように、これらのものは我々に大変多くの情報を与えてくれ、大変、便利なものである。結局、禁止はされてるものの、私を含めてほとんどの生徒が携帯を所持し、また、中にはパソコンを持ってる者もいた。

 このことは、人間は、便利な物に対してなかなか捨てがたく、それを所持し行使したいという欲求には勝てないということを示している。先ほどの例は、広い世界の中では些細な事例に過ぎないだろうが、大きな次元では、環境問題や核問題がそうであろう。最終的には自分の首を絞めることになるのについつい所持したり使ってしまう。良く考えれば、現在の発達した文明社会においては、多数の事例を見つけることができると思う。

 今日の文明社会の発端は、18世紀にさかのぼる。イギリスにおいて、人工動力を発明した第一次産業革命が発生した。石油、電力という効率的な燃料を用い、動力の生産力を飛躍的に向上させたのは、19世紀以降の第2次産業革命。そして現在、20世紀後半から現在も継続中である第3次産業革命においては、情報技術の発展が著しい。インターネットは、この文章を今現在、見ているあなたでも分かるように、明らかに便利だという実感を人間に与えている。しかし、同時に見えないところで、自分の個人情報を、誰かに垂れ流し続けている。例えば、自分の名前を検索してみると、自分の情報が意外と多くあるれていることが良く分かるだろう。これはつまり、他人においても同様なことだ。そこで、「それはいやだ」、「全く知られたくない」と思うなら、二度とネットなんて使わないことだ。それしか根本的な解決策はない。しかし、そんなことはできない。人間は、大火傷するまで、一回しめた味をなかなか忘れられない。それは私にも当てはまることだ。
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